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 こうした広告が増えたのは、ごく最近のことだ。高級ブランドは、すでにその製品の品質について広告する必要がない。いやそれ以上に商品をアピールする必要さえも減じてきている。日本にいながらにしてどんなブランドの商品も手に取れるのであれば、それはお店に行けば済むことだからだ。だからモードや個々の商品以上に、それをまとった男女がいかにセクシュアルであり、いかに異性を惹きつけうるかをアピールすることになる。ファッション広告、とくに高級ブランドにおいては、写真の向こう側に「快楽」が見えるか否か、それこそが重要なテーマとなりつつある。その手法に先鞭を付けたのがバブル期のヴェルサーチであり、ラテン系特有のこうした快楽主義志向は、雑誌のファッション・ページにまで影響を及ぼしつつある。
左からベルサーチの2003年の広告。原宿えみつけた「へそピ」の女のコ。2003年のニューヨークでの個展で披露された村上隆によるルイ・ヴィトンのモノグラム。

4.アート市場の激変とファッション・ビジネスとの接点

●村上隆のマーケティング
 1980年代、マーク・コスタビという画家(?)が、けっこうな人気をもって美術市場を席巻したのは憶えているだろうか?  いまだに日本でも「○○駅伝」のような広告に彼の絵を使っているから、マーケットから消えたわけではないだろう。彼の手法の凄かったところは、彼自身はまったく絵筆を執らずにスタッフ─社員と企画会議を開いて、次に描く絵のテーマ、構図をマーケティング的に決めていったことだ。決まったラフ・スケッチは、契約している職人画家に描かせ、コスタビのサインが入る。それが「コスタビの絵」として高額で売れてゆく。まさにサインがブランドであり、たとえ、その向こう側でどのようなことが行われていようが、このブランドに価値がつけば、その時点で市場としては成立したわけだ。
 90年代後半から自らの作品や、それに類するような時代傾向を「スーパーフラット」と名付け、欧米も含めて現在の美術界を席巻している村上隆の手法も、これに近いものがある。もともと東京芸大の日本画科を出ているだけあって、画法から構図まできちんとしたテクニックをもつ村上だが、彼の現在のやりかたは、埼玉県にあるプレファブの大きなアトリエに50人近いスタッフを集めて分業で作業を進めるという方法をとっている。絵画からFRPによる巨大フィギュアのような彫刻制作、あるいは企業とのさまざまなコラボレートとなると、いちいち自分で描いたり削ったりはしてられないというわけだ。
 村上をここまで押し上げたのは海外の評価だった。サンフランシスコやパリで99年から2001 年かけて開かれた展覧会は驚異的な成功を収める。ちょうど日本のアニメやオタク文化が欧米に入り込み、若者から絶大な支持を得だした90年代後半、まさにその「日本的」なるものをアート化して、もちこんだことが披の大成功へとつながった。村上がアニメのフィギュアのようなものをちょっと異化して巨大なアート作品にしたとき、最初に売れたものは100万円だった。〈miss ko2〉という作品で96年頃のことだ。その作品が今年、クリステイーズのオークションに出品されてなんと6600万円もの値をつけた。現役作家で、これだけの短期間に、これだけ作品価格が高騰した例は過去にも例のないことだろう。
 村上のしたたかさは、組織を有限会社化し、営業もぬかりなくやっていることだ。すでに1998年7月にはCITIZENと組んで、村上仕様の限定バージョンの時計を発売したり、マス・マーケットヘの進出には並々ならぬ意欲も持ち続けてきた。それが前述したようにルイ・ヴィトンのバッグ・デザインのコラボレーションとなり、あるいは六本木ヒルズでのパブリック・アートとなったわけだ。「オタクになれなかったアーティスト」を自称する彼は、次の野望を「食玩」への進出と位置づけていァる。
  「食玩」とはお菓子につくオマケの玩具のことで、昔からグリコのキャラメルなどで知られるが、近年のブームは、99年にフルタ製菓が発売したチョコレート「チョコエッグ」の中に、おまけとは思えない精朽な作りの日本の動物のフィギュアを入れたところ、20〜40代の熱烈な支持を集めたことから始まった。 第1弾の動物は24種。外からは中に何の動物が入っているかわからないため、すべての種類を揃えようとすると一人で何個も買うハメになる。ただそうした博打性も楽しみのひとつとあって、以後、さまざまな食品メーカーが、「食玩」に手を出していき、いまでは、その市場規模は600億円にまで拡大している。
 村上は「食玩」のフィギュアを作って大成功した原型制作会社、〈海洋堂〉とも接触し、中国の製造工場も視察し、虎視眈々とこの市場への進出を狙ってきた。そして今秋には、「食玩」市場に商品を投人することが決定したという。
 アートとマス・マーケットがここまで近づくことを10年前に予測できた人間がいただろうか? いまやアートは、かつての「美術市場」という小さなマーケットをうち破って、普通の企業の商品と変わらないマス・プロダクト性さえも持つようになりつつある。

●アート・コレクターとしての裏原宿系
 こうしてアートがマス化することによってデザインとアートの境目は、ますますわかりづらくなりつつある。それはアートが一部の金持ちのコレクターしか持ち得ないものだという、これまでの観念を突き崩す作用ももたらした。「アートのカジュアル化」。世紀転換期に目に見えるカタチではっさりと現れた現象を、この一言に象徴することは可能だろう。
 なかでもファッション業界での、いわゆる「裏原宿」系のブレークは彼らに巨万の富をもたらし、アート・コレクターにまでしてしまった。まさにカジュアルなモード界の連中がカジュアルにアートを買ってしまう。しかも、その資金力たるやちょっとした上場企業の社長など及びもしないほど潤沢なのだ。
 80年代後半にDJとして出発した藤原ヒロシは、その後、音楽プロデューサーとして成功し、そのファッション・センスからストリート系のカリスマとなっていった。その後、自分でも〈グッドイナフ〉というブランドを運営し、いわゆる裏原宿系のリーダー的存在であることは今でも変わりはない。裏原宿系で最も成功したといわれるのは〈A BATHING APE〉のNIGO だろうが、藤原やNIGO、あるいはマルチメディア・クリエイターの高城剛などは、みな近い世代で友人同士だ。「大人」や一般企業人からみれば、原宿でのつかのまの流行であり、小さな成功物語と思っている人も多いかもしれないが、彼らの動かすお金は新興アパレル会社の域を超えるものだ。
 たとえば〈A BATHING APE〉は、NIGOが音楽もやっているため音楽スタジオも持っているし、他にもカフェ、〈FOOTSOLDIER〉のようなスニーカーの店、ギャラリー、美容室まで総計で10近いジャンルのショップを展開している。
 高城剛にしてもクリエイターとしての活動以外に妹と共同経営の〈笄櫻泉堂〉という高級イタリア料理店から貸しスタジオの経営まで、その事業規模はかなりのものだ。
 さてカリスマたる藤原ヒロシは、というと30代後半になってもストリート系のファッション誌に顔を出さない週はないくらい影響力を保ちながら、一方で現代美術のコレクターとしても知られつつある。彼のオフィスのピアノの上には現代美術のなかでも、今現在、最高峰ともいえる評価をかちえているゲルハルト・リヒターの作品。ピアノの横には1個250万円のジェフ・クーンズの犬のオブジェ「パピー」が2個。さらにウォーホルの作品からスタッシュまで、この部屋だけで総額いくらかかったか想像もできないくらいの充実ぶりだ。
 20世紀前半まではパトロンなり美術コレクターなりは代々お金持ちだったり、貴族だったりしたものだ。それが80年代のバブル以降、投機の対象ともなり高収入の証券トレーダーなどヤッピーが資産運用としてコレクターに浮上してきた。それが今では、最もカジュアルなモードの世界の若者が、その市場に入り込んできている。村上隆のように作る側が40歳前後、藤原ヒロシのように買う側もほとんど同じ世代。作る側と買う側が、これほど近い世代になったことはかつてなかったことだ。「アーティストの価値は死んでから上がるものだ」という20世紀までの俗論は、今やまったく通用しなくなりつつある。

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