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●エクレクティズム(混清様式)の罠
 それにしても新建築で賑わう東京で、六本木ヒルズが、あのように均整のとれないごった煮空間として出現したのは、「流行」というものの本質があそこに集約されたということだろう。なにしろ17年前から始まった計画だ。全体の設計はジョン・ジャーデイだそうだが、テナントのファサードはデザイナーもそれぞれだし、個性も違う。しかも流行は刻々と変化してゆくから、それぞれのスポットでそこなりに現時点での流行様式を取り入れる必然性も出てくる。高層ビルの下に90年頃のデザインを思わせる空間があったり、あるいは、けやき坂通りにはスペースエイジ的なエントランスが用意される。そこここに未来的な部分があると思えば、フランク・ロイド・ライトに想を得たような部分もある。エクレクティックになってしまうのもしょうがないことなのだ。
 そうした趣味が、良いか否かは問題ではない。いわば幼年期の楽園に還るような空間だ。だが、六本木ヒルズは「逆テーマパーク」のようなもので誰でも遊びに行けるが、お金のある無しによって厳密に食事もショッピングの場も変わってくる空間である。さまざまな様式の混渚した空間は、まさにその空間の種類によって人を選んでいる。ディズニーランドでは、空間は消費されないが、六本木ヒルズでは、消費される空間とそうでない空間の差が1〜2年ではっきりしてくることだろう。デパートのテナント以上に過酷な数字上での成果がここで求められることになるのかもしれない。ちなみバブル崩壊後にシオサイトから六本木ヒルズまで、高層建築群が出現したことに奇異の感を抱く人も多いだろう。だが、アメリカのエンパイア・ステート・ビルが好例で、あのビルの建設計画が発表されたのが1929年8月。アメリカが大恐慌に陥るたった2ヶ月前のことだ。もちろん歴史が示しているとおり計画は中止されなかった。不況で人件費が下がり資材も暴落し、建築はことのほか順調に進んで1931年には完成してしまったのである。
左から六本木ヒルズの村上隆によるアド。ヒルズの折衷様式。雑誌『POPEYE』のスペースエイジデザイン特集。青山のフーディングバー〈ル・フォブール〉。

2.インテリア・デザイン界での終わりと姑まり

●ミッドセンチュリー・ブームのコア化
 建築がガラスの透明性やライトな浮遊感に進んでいたのと同じようなことがインテリアの世界でも進行していた。しかし業種によって、いかような形態にも変化できるのがインテリアの世界なので、いくつかに分類しておこう。
 ひとつは高級レストランなどのネオ・クラシシズム。これは和風デザインの復活にもいえることで、京都の町屋をイメージしたようなレストランの出現も一種のネオ・クラシシズムとしていいだろう。「スウィーツ」は今や流行語だが、デパートのなかのチョコレート、お菓子の売り場が、まるで高級宝飾店のようなデザインを施され、商品自体も高額化しているのも、このネオ・クラシシズム的な流れのひとつといってよい。銀座のアンリ・シャルパンティエなどその最適な例だ。
 ニューリッチ層の浮上で二極化する階級構造のなかで、飲食店等のインテリアがネオ・クラシシズム化するのは必然ともいえるが、バブルの頃の成り上がり的なゴージャスさから比べると今日のネオ・クラシシズムは、そのデザイン的洗練度からいっても日本の消費社会の成熟を感じさせる。
 こうしたものとは別の流れで、カフェやインテリア雑貨店のデザインでひとつの地位を占めてきたのはミッドセンチュリー・ブーム(50〜60年代のモダンデザイン)だ。チャールズ・イームズや、ヴェルナー・パントンのチェアが置かれたカフェやレストラン、それは個人のインテリアにも影響を与え、目黒通り周辺に大量に山現したインテリア・ショップには大量のミッドセンチュリーものが溢れることになる。最初はプラスティック製品の人気が高かったが、2002年頃からプライウッド(合板)による、ナチュラル系が流行りだし、「天童木工」などといった日本の古くからの合板メーカーの名を、今までほとんどインテリア・デザインのことを知りもしなかった若者が口にするようになる。
 もっともかねてからの持論だが、ブームはその頂点に達したとき、死を迎える。ミッドセンチュリー系デザインは20世紀最大の収穫でもあったから、ファンは残るがここ数年の狂騒的なブームはそれこそ今年いっぱいぐらいで終息することだろう。『popeye』の7月28日号では「スペースエイジデザインが熱すぎる!」という特集を組んでいた。スペースエイジとは60〜70年代の未来感覚に満ちたモダン・デザインのことだ。インテリアは無論のこと「ウェルトロン」の70年代の家電など、かなりのツウにとってもコアな、つまり一般には何のことやらわからないネタを大々的に取り上げていた。ほとんどオタク的なネタにまで行き着かなければならないことは、まさにブームの終焉を予兆させている。

●ネオ・バロックの復活
 ネオ・クラシックがニューリッチやコンサーバティヴな層、そして比較的高い年齢層を取り込んでいるのとは対極にミッドセンチュリー・モダンは若年のデザイン意識の強い層を取り込んできた。しかし、そのいずれとも若干ずれる比較的金銭的に余裕があり、音楽やファッションの最新流行にも敏感な層に向けて、最近発信されているのは「ネオ・バロック」とでも呼べる傾向だ。
 フランスから渋谷に進出したDJバー〈ラ・ファブリック〉は、より大人の空間を目指して青山に〈ル・フォブール〉を開店させた。近未来的なアクリルの照明にバロック調の暖炉、モダンなチェアの隣にはルイ15世様式まがいのキッナュでクラシックな椅子。そしてアルミのDJブース。夜10時以降、フーディングバーからクラブへと変身する〈ラ・ファブリック〉同様、ここも音楽が重要なフーディングバーだ。そしてモダニズムとバロック調(厳密な17世紀様式という意味ではない)の合体。フランス人デザイナーと日本人デザイナーのコラボレーションから生まれたというが、やはり日本人だけではこの発想はなかっただろう。
 神楽坂の料亭がひしめく裏通りにある看板もないバー〈Chika〉もその点では似ている。日本の古い民家をそのまま利用し、部分的にモダン・デザインを取り込む。お座敷の座布団が西洋的モダニズムでデザインされているのには感動させられる。イタリア人デザイナー、クラウディオ・コルッチによるものだが、これも日本の古典様式とモダニズムを合体させたという点で「ネオ・バロック」と呼んでもいいだろう。ちなみにカウンターにいる美しいチカさんは現役の芸者さんで、昼間はお座敷に出ている。
  「ネオ・バロック」的な様式はもともとロンドンで強く、バブル期にはロンドンのデザイナー、ナイジェル・コーツが日本でも〈Cafe Bongo〉や〈Metropole〉などをギリシャ古典様式や廃鉄のデッドテック、それに古典絵画もどきを組み合わせてなんとも美しくゴージャスに、しかも先鋭的に作っていた。最近のロンドンでも〈ル・トロワ・ギャルソン〉というレストランが、「ネオ・バロック」的インテリアで、かなりの人気を集めている。ネオ・クラシシズム的な品の良いコンサーバティズムにはかなわなくとも、その「保守性」に飽き足らない層は、けして少なくない。「ネオ・バロック」はそうした意味で、さながら19世紀末のような「芸術至上主義」的様相をみせている、この新世紀の端緒にはうってつけと言ってよいかもしれない。

●大箱と隠れ家への両極化
 インテリア・デザインに新たな趣向が見え始めているのと同様に、その空間の「意味性」にも、かつてない傾向が90年代末から始まっていた。バブルの終焉とともに〈ベルファーレ〉など都内にいくつかを残すのみになっていた、いわゆる「大箱」の復活。新木場のクラブ〈STUDIO COAST〉(週末のageHaというイベントが盛り上がっている)などは、ディスコではなくクラブでありながら相当収容できる大箱であり、しかも深夜、ずっと渋谷と新木場を直通で結ぶバスを走らせている。

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