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1.現代建築と結びつくファッション業界

●ガラス建築と「ユニバーサル・スペース」
 電通のある汐留シオサイト周辺、あるいは今最も巷間を賑わしている六本木ヒルズの森ビルなどの高層建築をみると、それらすべてが異様なまでにガラス主体の建築物となっていることに驚かされる。丹下建三は80年代のポストモダン・デザイン・ブームの終焉のあと、モダニストでありながらポストモダン的な意匠の都庁を設計したが、石の壁面の多い都庁や、横浜のランドマーク・タワーなどとは、明らかに異質な近未来的相貌をもった高層建築が現出しつつある。電通ビルは世界的に有名な建築家ジャン・ヌーベルの作。その巨大なガラス建築のそばに、やはりガラス張りのシティ・センタービルが建ち、日本テレビなど周囲の高層ビルを反射して、さながらガラスの蜃気楼でもつくりだしているかのごとくの様相を見せている。
 ガラス建築の元を辿ると1920年代に建築家ミース・ファン・デル・ローエが夢想した高層のガラス建築に行き着く。当時の技術では彼の構想どおりのものは不可能だったが20世紀、コンピュータによる強度設計技術などの高度化によつて、それは可能になった。そしてミース的なガラス建築の特徴は、すべての階が同じ均一な横造でできているということでもあった。金太郎飴的なこの空間を「ユニバーサル・スペース」という。1960年代までのモダニズム建築もある程度「ユニバーサル・スペース」を求めて機能主義化していったが、90年代以降は、まさに新しいビルのほとんどがそれを実現化しようとしていったといえるだろう。


●「ライト・アーキテクチャー」の浮遊感

 ガラス建築は、高層のオフィスビルだけでなく、もっと小さなファッション・ビルなどでも顕在化していった。伊東豊男の「せんだいメディアテーク」、その弟子の妹島和世と西沢立衛のコンビによる原宿の「hhstyle.com」等は、ガラスの壁面と構造(厚い床や太い柱)をできる限り薄く弱く目立たせないことによって、透明感のある軽い建築を作って話題を集めた。これらを総称して「ライト・アーキテクチャー」などという言葉が生まれたが、それは90年代末から新世紀にかけて女性の消費動向が、あらゆるモノのデザインを「女性化」していったのと軌を一にしている。
 雑貨店「フランフラン」が、シャープと組んで、軽く透明感のある家電を独自販売し成功したことも、あるいは98年にアップル社がキャンデイのようなiMacを出して女性ユーザーを大幅に増やしたことも、ライトな建築と共通する時代のデザイン思潮であり、女性的感性の顕現でもあった。アートの世界で村上隆が自身の作品および時代の似た傾向を「スーパーフラット」と名付けて大成功したが、こうした「フラット─平面性」とライトの「浮遊感」は、世紀転換期を象徴する一大事象だった。もちろんその傾向はいまだに衰えてはいない。
 村上隆がルイ・ヴィトンと組んで村上風モノグラムをデザインして世界的な大ヒットとなったのは、つい先日のことだし、村上が森ビルと組んで六本木ヒルズ内のさまざまな空間に、彼の「フラット」なキャラクター・イラスト風垂れ幕を溢れさせたのも、このフラット感覚に時代の支持があることを見抜いてのことだ。しかも「カワイイ」という形容の許容範囲も際限なく広がったことも含めて。もちろん村上がこうしたビジネスで、日本の美術界では考えられなかったほどの巨富を得ていることは言うまでもない。
 建築でいえば青木淳がルイ・ヴィトンの名古屋店でガラス建築に模様を入れて格子壁面をつくり、原宿のルイ・ヴィトンもガラス壁面でデザインした。一方、現在、表参道に建築中のクリスチャン・ディオールのビルの設計は妹島和世と西沢立衛の〈SANAA〉によるものである。ガラスと、柱や床といった構造体を目立たなくした「ライト・アーキテクチャー」は21世紀初頭も、その需要とファッション的流行性を保ち続けている。


●プラダ本店の革新性
 しかし、表参道にできたプラグ青山店は、こうしたライトな傾向から脱した、より新時代を感じさせる画期的なものだ。設計はスイスの二人組、ヘルツォーク&ド・ムーロン。菱形のガラス壁面を巨大なタイルのように組み合わせ、さらに部分によってガラス面が凸型に屈曲したりしているので、かなり異空間を感じさせる面白い建物だ。1920年代ドイツでは、「表現主義建築」という異様に曲線を多用した反合理主義的な建築が流行ったが、そのなかのブルーノ・タウトが構想したガラス建築(23年)と近い感覚の建物といえるかもしれない。
 いずれにせよ、本流の「ライト・アーキテクチャー」からはみ出した感性がチカラをつけてきているのも間違いない。バブルの頃、日本では外国人の建築家やインテリア・デザイナーに設計を頼むのが大流行した。フィリップ・スタルクなどに大金を払って、数年しかもたないような、くだらぬ流行様式の店舗やビルがいくつも作られた。同じ時期、もっと先進性をもっていたがために実施設計などの機会にあまり恵まれなかった──つまり設計案のみ──デコンストラクション(脱構築)という一派がある。「デコン」の流行は終わったが、この様式を担った若手が今、世界で面白い建築をつくっていることには注目しておくべきだ。
 80年代に西麻布に超先進的な〈コノシヤンテ〉という店を設計した(筆者はこの店の商品開発にも関わった)コープ・ヒムメルブラウ。エジプト人女性のザッハ・ハディド。いずれ日本でも彼らの最新作を、おそらくは高級ブランドの店舗として見ることができるようになることだろう。前述した高級ブランド店のどれもが、著名建築家を使っていることでもわかるように、今、建築の先端を具体化しているのはアパレル業界なのである。以前は美術館などの公共建築がそれを担っていたが、ファッション業界はインテリアヘのこだわりを、その器となる建築─エクステリアにまで押し広げてそのブランド・イメージの強化を図っているわけだ。
左からジャン・ヌーベル設計の電通ビル、妹島和世設計による原宿のhhstyle.com、ヘルツォーク&ド・ムーロンによる表参道のプラダビル。
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