2006. 09
commons & sense man issue01 セシル・ビートン、60'sバンド、50'sのグラマーと車の関係

 『commons&sense』の男性版として、発刊された『man』の2号目が発売になった。全体のテーマは「男にとっての礼儀作法」のようなもの。ようはお坊ちゃんっぽい感じがテーマと言い換えてもいいだろう。
 僕は育ちの良さとその私生活から仕事まで、すべてに「趣味の良さ」を貫いたセシル・ビートンを提案して6ページほどの特集を書いた。写真家にして文筆家、舞台美術から映画の衣裳までデザインした、行くところ可ならざるものなき才人について、いまはほとんど書かれることはない。だからこそセシル・ビートンの人物像とその仕事を再評価したかった。
 セシル・ビートンの仕事で最も大きな位置を占めたのは、写真家としての仕事だろう。なかでもファッション・フォトに関しては、彼ほど華麗に古典美を再現した写真家もいなかったろう。なにしろ1904年に生まれ、幼少時から劇場に連れられて行って女優の美しさに憧れ、ブロマイドを集めたくらいだ。エドワード朝時代の華美の中で育ち、青春を1920年代英国の「Bright Young Thing」と言われた風潮のなかで送った。イヴリン・ウォーなどとともにお金持ちのボンボンの馬鹿騒ぎの狂騒のなかで、美と快楽と贅沢に耽ったわけだ。そんな青春なしに、あれほどの豪奢な美に満ちた写真が撮れるわけがない。このところのファッション・フォトグラファー研究が、ギィ・ブルダンの論考と今回のセシル・ビートンに結実したかたちだ。次はリー・ミラーについてかくだろう。
 このお坊ちゃんテイストに関連して60年代の英国バンドのカジュアル・ファッションについても書いた。モッズがイタリアン・ファッションの影響が強いことは有名だが、意外にも彼らはアメリカのカジュアル・ファッションからの影響も受けていた。そのあたりを当時の英国のバンドのメンバーなども交えて論証。
 その他、50年代のアメリカ車がゴージャスに大型化していくのと、女性のボディのゴージャスさがもてはやされた現象の共時性には、どんな心理があったのか、とか、博物館入りしてしまう超音速旅客機コンコルドとは、じつはどんな旅客機だったのか、など……まあ、書きまくってしまったわけだ。
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