2003. 05
[デザインの理念と形成] 武蔵野美術大学

 僕(長澤)の卒業した武蔵野美術大学基礎デザイン学科の創立35周年と創立に尽力された向井周太郎先生の退官という二つのことが重なって、基礎デ関係のさまざまな催し等がこのところ続いた。その一環なかで『基礎デザイン学の35年ーデザインの理念と形成』という250ページにもわたる本が作られた(原稿依頼のときは小冊子と聞いていたが)。
 学部10年次の卒業生として寄稿して欲しいと向井先生から直接頼まれ、書いたのがこのページ。もともと向井先生はウルム造形大学出身ということもあって基礎デは、バウハウス直系的なイメージが強かった。当時は、さほどバウハウスに関心はなく、のちに川崎市市民ミュージアムでのバウハウス展のポスター、図録等のデザインをし、恩師である向井先生がその監修をするという機会が来ようとは想像すべくもなかった。もちろんその頃はバリバリにバウハウスにハマっていたのだが。
 ところで基礎デがそれほど楽しい学科だったわけではない。ただ僕は向井先生と嶋田厚先生という二人の教授に恵まれた。実技の卒業制作がいやで、卒論を選び『大正期の有機的建築』という日本の表現主義建築等を掘り起こした論文によって優秀作品にも選ばれた。このとき僕の論文を指導し、豊玉監獄(当時の中野刑務所)の内部を見学できる便宜を計らってくださったのが嶋田先生で、卒論を高く評価してくださったのが向井先生だった。大学院に残れば……というような助言をくださったのも向井先生だったように思う。
 その頃、僕はデザイナーかコマーシャル・フィルムのディレクターになってファッション・モデルに囲まれてる未来、なんてバカなことを想像していた。まあ、そんな年齢だったわけだ。大学院に進んで研究者の道を歩まなかったのが、僕の人生の最大の失敗だったのかもしれない。
上の画像をクリックすると文章が読めます。
 かなり私的な話になるが、今回の本で学部10年次卒業生として僕の左のページに原稿を寄せているのが田畑たかし。じつは彼と僕は、当時二人で「シュルレアリスム」研究会というサークルを作って、それぞれの論文を載せた『C'EST LA VIE』という小冊子を刊行していた。その頃の写真が出てきたので、ここに掲載したがご覧のように二人とも当時はなかなかの美青年だった。当時からやっていたことがカッコよかったね。
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