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『二十歳の恋』でのジャン=ピエール・レオ。
ラウンド・カラーのボタンダウン・シャツ
がいかしている。
1950年代、若かりし頃のトリュフォー。
『夜霧の恋人たち』のジャン=ピエール・
レオとクロード・ジャド。トリュフォー60
年代の傑作にして、永遠の青春映画だ。
ジャドのスタイリングが可愛らしい。
『二十歳の恋』での窓のシーン。
トリュフォー作品における「窓」は他の
作家の「窓」とは比べものにならない
くらい美しく外界に開かれた世界だ。
『恋愛日記』でのワンシーン。
脚フェチ映画ともいっていいくらいだが、
滑稽で哀切な物語。
『アデルの恋の物語』撮影現場での
トリュフォーとイザベル・アジャーニ。
アジャーニの演技が素晴らしかった作品。
一人の男と姉妹の恋愛を描いた
『恋のエチュード』は1900年前後を
舞台にした映画。
3人が自転車で走るシーンは、『あこがれ』
の自転車のシーンに匹敵する美しさ。
『夜霧の恋人たち』でのデルフィーグ・
セイリグ。カトリーヌ・ドヌーヴと並んで
この時期のフランス映画で最も気品に溢れ、
美しかった。
アントワーヌ・ドワネル(シリーズ)
第二作にあたる『二十歳の恋』の
微笑ましい恋人たち。
●アントワーヌ・ドワネルのジャケット
 ドワネル・シリーズは60年代初めに始まり、70年代後半に終わるが、その間のファッションの変遷も見事に映画の中に映し出されている。たとえば『二十歳の恋』のドワネルのスタイル。シャツはラウンド・カラーのボタンダウン。これがなかなかカッコイイが、じつは60年代に流行って、その後ほとんど見なくなってしまったものだ。ラウンド・カラーとボタンダウンが分離してしまって一緒のものがなくなってしまった。
 ジャケットは二つ釦シングルでサイド・ベンツ。いわゆるコンポラ・スーツに近いものだが、50年代後半のバリバリのコンポラ・スーツが一つ釦なのに対して、もっとおとなしい普通のデザインだ。およそ服装のセンスというものを持ち合わせていなかった(!)トリュフォーのことだから、彼の意向が反映されてできあがったスタイルとは思えないが、この二十歳のドワネルのスタイルは、タイトでシックで、今みてもすごくカッコイイ!
 『夜霧の恋人たち』は世の中がサイケデリックからフラワー・ムーブメントだ、ヒッピーだ、と移行しつつあった68年の製作とあってスーツスタイルも中途半端で、当時の言い方をすれば「プチ・ブル青年風」だ。ただし、探偵として尾行するときのコートとマフラーの巻き方は、今みてもなかなかよろしい。いわゆるコンチネンタル・スタイル。
 そして70年の『家庭』となるとスーツ・スタイルはほとんど出てこない。タートルネックにベルボトム。すなわち70年代前半を支配する典型的スタイルである。さらに最後の『逃げ去る恋』。ドワネルも30歳を過ぎ、ましてや時代は78年である。格好いいあろうはずがない。ドワネルも今日まで中高年サラリーマンに連綿と受け継がれてきた「オヤジ・スーツ」スタイルとなる。「大人は判ってくれない」というよりも、むしろ「大人は判ってない」というべきか。

●色彩のセンス
 トリュフォーは後年、ゴダールの色彩センスは天才的だが、自分にはそれが欠けていて、いくつか失敗を犯していると語っている。たしかに『マリアという名の女』に自ら出演して「ゴッホは黄昏時の黄色を探した」と語り、『右側に気をつけろ』で全編、赤、青、黄の三原色を多用したゴダールの色彩感覚については、一冊の本が書かれてしかるべきだ。とはいえ、ドワネル・シリーズも60年代につくられたものの色彩構成は、そう悪くない。それはトリュフォーが、というよりは“時代”の色彩感覚そのものがよかったからだろう。
 いうまでもなく60年代はヴィヴィッドな原色の時代だった。『夜霧の恋人たち』の探偵事務所の部屋のカーテンに注意してほしい。奥の社長室のドアには青のカーテンがあり、その手前の右のドアには、赤の壁。みごとに色面構成されたこの構図は、ほんとうに美しい。同じ事務所で社長が女子事務員にちょっかいをだすときも赤い壁のそばに青いランプが置かれ、美しい空間をつくっている。こうした細かな色彩構成は、けして些末的なことではない。『シェルブールの雨傘』でジャック・ドゥミーは、シェルブールの街中を塗りたくって色彩が音楽的リズムを生むミュージカルをつくったし、最近では、ペドロ・アルモドヴァルが原色の構成にこだわっている。色彩もまた、映画そのものだ。

●電化製品
 『二十歳の恋』でドワネルが愛用するレコード・プレーヤーは、蓋にスピーカーがついていて、それを彼は、壁に掛けて使っていた。『夜霧の恋人たち』でドワネルが鏡に向かって英語を練習するシーンで、教材をかけているプレーヤーも蓋にスピーカーが付いたものだった。ポータブル・プレーヤーが若者の間に広まるのは、欧米では50年代末。日本では60年代半ば以降のことだ。戦後の電化製品に対する欲望は、ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』(58年)に戯画化されて描かれているが、トリュフォーの映画からも、たとえば、その製品の位置づけをみることができる。『二十歳の恋』のラストシーン、恋人の家庭での夕食後、「さあ、テレビでも観よう」と言ってみんなでTVの前に移動するシーンがそれだ。日本のお茶の間に限らず、テレビは家庭の中心に存在していたのである。

●引用と仲間
 ヌーベル・ヴァーグの映像作家たち、とくに『カイエ・デュ・シネマ』の同人たちの仲間意識が強かったことは、山田宏一の名著『友よ、映画よ』にたのしく描かれているが、トリュフォーの作品にもそれはよく表れている。
 『家庭』では、ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』の伯父さん=ユロ氏のそっくりさんが駅のホームにでてきて笑わせてくれるし、TVの芸人がアラン・レネの『去年マリエンバードで』の登場人物の声帯模写をしたりする。アラン・レネは、当時「左岸派」といわれ、トリュフォーは「右岸派」だったが、それはたむろする場所が、右岸と左岸に分かれていただけで、互いに敬意をもっていた。『逃げ去る恋』でクリスチーヌと絵本作家リリアーヌが描いているのは、「エリック・ロメールの映画のポスターよ」ということだった。こうして彼らは仲間に敬意を表していたわけだ。

●悪童手稿
 『逃げ去る恋』で初恋の人、コレットに列車で再会したドワネルは、彼女に次の小説の構想を語る。この小説のタイトル『悪童手稿』について、ちょっと触れておこう。というのは、日本語字幕にもこの「悪童」に「サル・ゴス」のルビがふられているのでわかるのだが、これは『サラゴサ手稿』のもじりなのである。『サラゴサ手稿』とは17世紀のポーランドの作家ヤン・ポトツキが書いた小説で、ある逸話に別の逸話が挿入され、さらにそこに別の逸話が・・・という入れ子式の当時としては奇妙な作品である(国書刊行会より邦訳あり)。小説をトリュフォーが読んだという形跡はないが、じつはこの小説はポーランドの監督ヴォイチェク・ハスによって映画化されて、トリュフォーはこれに影響を受けて『逃げ去る恋』での回想形式を組み立てたらしいのである。「サラゴサ」は地名ということになっているが、「サル・ゴス Le Sale Gosse」=「悪ガキ」となるといかにもトリュフォーらしくなるところが気が利いている。

●脚フェティシズム
 トリュフォーが脚フェチである、というこんな重要なことを映画評論家がちっとも取り上げないのは、怠慢なのか、それとも見る目がないのか。いづれにせよ、これは重要かつまごうことなき事実である。
 その脚フェチが全面的に出ているのが、『恋愛日記』(77年)である。主人公は顔も確認せずに脚だけで女に恋してしまったりするのだ。そして彼は自分の女性遍歴を書いた本にこう書き記す。「女の脚は、あらゆる方向に一歩一歩バランスと調和をとりながら、地球を測るコンパスである」。そう、女の美しい脚がなかったら地球なぞ、存在せぬに等しいではないか! 
 トリュフォーは、監督としてデビューする以前の1955年に女の下着に関するエッセイを発表しているが、そのなかで詳細に語っているのは、ストッキングのことである。(“パンスト”発明以前の由緒正しきストッキングについてだ。)このエッセイに書かれた話がのちに『終電車』(80年)に生かされる。戦時中の物資の不足でストッキングが手に入らなくなったとき、女たちがシーム(昔のストッキングにはシームと呼ばれるラインが後ろに入っていた。)をアイブロウで描いて、ストッキングを穿いていたように見せるというシーンである。トリュフォー以外にだれがこんなシーンを入れようと考えるだろうか。
 『家庭』でクリスチーヌが机の上でバイオリンの練習をしているときに、アントワーヌが入ってきて、その脚を撫で回すシーンは、およそエロティックなところのないアントワーヌの行為のなかで例外的にエロティックだったが、それは脚へのフェティシズムがあるからだろう。この映画の冒頭がクリスチーヌの闊歩する脚だけの描写で始まるのも、やはり脚への愛着ではないか。『恋愛日記』の主人公は、こう書き記す。「女の脚と歩く姿ほど美しいものはない」。けだし、名言である。もちろんこの台詞を書いたのは、トリュフォーその人に他ならない。

●メイク
 ドワネル・シリーズでは、ファッションの変遷だけではなく、メイクの変遷もみることができて愉しい。『二十歳の恋』のコレットも『夜霧の恋人たち』のクリスチーヌも、いかにも60'Sビューティの美しさとキュートさをもっているが、それを際だたせているのもくっきりとした60年代のメイクだ。そのふたりとも78年の『逃げ去る恋』になるとほっそりとした眉に変化して(歳もとっているが)、これもいかにも70年代である。この70年代のほっそりとした眉は、この時代に再評価されはじめた若き日のマレーネ・ディートリヒの細い眉の影響である、とよく業界本には説明されたりするが、これは眉唾である。ミニ・スカートのあとにはロングが流行るという流行の法則のとおり、くっきりとした眉のあとにほっそりしたものが、流行ったというだけのこと!

●窓
 “窓”はトリュフォーにとってきわめて重要なモチーフだ。しかも彼が窓を撮るときには、ひとつのパターンがある。『二十歳の恋』の冒頭でドワネルがアパートの部屋の窓から外を見る。内側からそれを捉えたカメラは、今度は街路から窓の全景を捉える。そしてバックグラウンドにはバッハが流れる。ドワネルがコレットのアパルトマンの向かいに引っ越してきたときのシーンにも、まったく同じ手法が使われる。窓に立つドワネル、向かい合う窓のコレットと両親。そしてバッハ。
 もちろんバッハだけでなく、ジョルジュ・ドルリューのサウンドトラックが流れるときもある。いづれにせよ、こうしたシーンになぜか見る側は感情が高ぶってしまう。おそらくはトリュフォー自身もそうだったのではないか。これを堪能したい向きは、『アメリカの夜』(73年)を観よ! ここにも窓とサウンドトラックの美しき結婚がある。

●セックス
 トリュフォーは、自分のセックス観をよく俳優たちに語らせる。『夜霧の恋人たち』では、探偵社の同僚がドワネルに、祖父の葬式のあとに従妹と泣きながらセックスをしたという話をする。このときに語られる次の台詞は、この映画のなかでもっとも美しい一節だ。
 「セックスは死の代償だ。生きるための営みだよ。」
 この言葉は、のちの物語の伏線にもなっていて、ドワネルを探偵社に引き入れた上司、アンリが急死したとき、ドワネルは葬儀のあと、そのまま娼婦を買いに行く。墓地を俯瞰するカメラがパンしてそばの道路に立つ娼婦と近づくドワネルを捉えるシーンは、悲しく美しい。

●ワンピース
 『夜霧の恋人たち』のクリスチーヌは、いつもダブル釦のコートドレス風のワンピースで下には無地のセーターを着ていた。

© Hitoshi Nagasawa 1996
初出誌『アントワーヌ・ドワネルの冒険』劇場用パンフレット 1996

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