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シピオーネ・アンミラート99番街
ミケラッティ(1901)
Tea Table, Hector Guimald(1903)
Desk, Hector Guimald(1903)
Arabesco, Carlo Mollino(1949)
No.577, Pierre Paulin(1966)
Tomato Chair, Aero Aarnio(1971)
Zocker, Luigi Colani(1971-72)
Floris, Gunter Beltzig(1967)
Bone, Ross Lovegrove(1996)
Confluenze, Massimo Iosa Ghini(1989)
Lockheed Lounge, Mark Newson(1985)
●アール・ヌーヴォーに始まる有機的曲線
 1960年代のサイケデリック様式のぐにゃぐにゃの文字やイラストのソースとなったのは19世紀末のアール・ヌーヴォーだった。1950年代末から始まる欧米におけるアール・ヌーヴォー再評価とLSDによるアシッド・トリップの結果、あのうねるようなサイケデリック様式は生まれたわけだ。それは20年代のバウハウスのモダニズム運動から、60年代に至るまでずっと続いてきた「近代様式(モダニズム)」の合理性、理性重視の機能主義的美学に対する叛乱だった。
 サイケデリックが、その範としたようにアール・ヌーヴォーは、過剰なまでの曲線、曲面が氾濫した美学史上、最も特異といえる様式だった。それ以前の西洋美術史を辿っても、あのような曲線が現れたことはない。18世紀のシノワズリー(中国趣味)が植物 の曲線を応用しても、それは文様としてであって造形としてではなかった。ラファエロやダ・ビンチによってつくられたルネサンスの均整美、中心点(あるいは遠近法の消失点)のある構図が崩れ、うねるような人体造形が生まれた16世紀の「マニエリスム様式」のいわゆる「蛇状曲線(フィギューラ・セルペンティナータ)」が、唯一の遡源といえなくもないが、アール・ヌーヴォーは、マニエリスムから影響を受けたわけではなかった。
 アール・ヌーヴォーは直接には、いわゆるジャポニズム(当時の日本趣味)、ウィリアム・モリスらのアーツ・アンド・クラフト運動が推進した「自然」の形態の模倣、文様化などからの影響によって生成された様式美だ。
 アール・ヌーヴォー様式に属するといわれる作家のなかでも有機形態という点で、群を抜いていたのは、フランスのエクトール・ギマール(1867ー1942)とベルギーのヴィクトール・オルタ(1861ー1947)だろう。両者とも建築から室内装飾、家具までさまざまな作品を残したが、H・ギマールの建築は、現在ほとんど残存せず、写真でも〈カステル・アンリエット〉(1903)が知られるくらいだろうか。それでも彼のうねるような鉄の曲線は、パリのメトロの入り口にいくつか残されたので、パリに行って実物を見た人も多いのではないだろうか。ほかにもとねりこ材をもちいたテーブルなど、その曲線造形には目をみはるものがある。
 ヴィクトール・オルタの最も有名な作品といえば、ベルギーに現存する〈タッセル邸〉(1893)だろう。柱や階段はうねり、床や壁面にも曲線模様が溢れるその過剰な曲線様式はさながら世紀末の、華美ながら沈鬱、優美ながら憂愁の深い美意識の象徴のようでもあった。
 アール・ヌーヴォーの特徴的側面にもうひとつ、「バイオモルフィズム」がある。ようするに自然界の生き物なりをデフォルメしたり他の造形と合体させてしまった様式。装飾品に特徴的な様式でルネ・ラリックが製作したトンボと女性を合体させたアクセサリーなどは、その典型である。ようするに自然界は有機曲線で溢れているということだが、こうしたモルフィズムも淵源を辿れば、16世紀イタリアの〈カステル・サンタンジェロ〉のグロテスク様式に見られるような人体のモルフィックな文様化に辿り着くことができる。しかもそれは60年代のポップ・モダニズムに援用されてもいるのだ。

●アートからの引用
 われわれはバウハウスのモダニズム運動以降、理性的形態が支配し続けたと思いがちだが、それとは別の曲線、曲面が50年代以降氾濫し始めたことも承知してないわけではない。そう、50'sと呼ばれる様式にはキドニー・シェイプという三角矢印を曲線造形にしたようなテーブルが現れ、ガラスの花瓶には、うねるような曲面が溢れ、リーフ(葉っぱ)柄は、テキスタイルからティーカップに至るまで広く応用された。自然界に存在するものを応用するのは、バウハウス以降、モダーン・デザインの世界では忘れられていたことであり、モダニズムの反装飾主義に対する、この時期の大衆側からの反旗をこうした日用品のたわいのない模様に読みとることができる。
 すでに最近上梓した自著にも書いたことだが、50's様式の曲線には、それ以前のアートからの影響が色濃い。例えば、ホァン・アルプのうねるような曲面の彫刻やレリーフ、それらはすでに1910年代からアルプが試みてきた造形であったし、20年代以降、ナウム・ガボやモホイ=ナギが、よりモダーンな側面をもった曲面彫刻を造り続け、それは直截に50〜60年代のモダーン・ファーニチャーの曲面造形やワイヤー使い(ナウム・ガボは幾本ものワイヤーを張った造形を特徴とした)に影響を与えた。  こうしたアートのデザインへの影響、あるいはデザイン側のアートからの引用は、これまであまりにも顧みられ過ぎなかった。日本で「デザイン評論」をする側の美術史への知識の無さが、こうした結果をもたらしたのであり、結果として無味乾燥なデザイン史ばかり、この数十年われわれは読まされ続けてきたわけだ。

●ヴィルヘルム・ライヒとポップ・オカルティズム
 ここで、もうひとつ従来のデザイン評論などでは、関連づけもしないことを書いておこう。今回の特集のテーマ「Orgonic Design」は、編集部が命名したものだが、ここには有機形態へと導く重要なテーマが内在している。
 そもそも「Orgon」とは、フロイト左派の心理学者ヴィルヘルム・ライヒが唱えた、宇宙に存在する強力なエネルギーをもつ不可量の物質で、いうなれば19世紀にメスメル博士が唱えたエーテルのような実在の証明されない、いささいかオカルティックな想像の産物といっていいだろう。しかしライヒは、この「オルゴン」エネルギーをガン治療に利用するためにオルゴンを集積する〈オルゴン・ボックス〉なる箱まで作る。しかしその「インチキ性」を司法当局に訴えられ、ライヒは1957年、失意のうちに獄死する。
 そのライヒが1960年代後半から70年代のヒッピー・ムーブメントのなかで「ポップ・オカルティズム」として復権するのだ。折しもゲルショム・ショーレムなどの「カバラ学」などの流行もあり、70年前後、アンチ・モダニズムは若者の精神世界に急速に浸透してゆくことになる。アール・ヌーヴォー再評価によるサイケデリックの動き、LSDによる精神世界への踏み分け、そしてポップ・オカルティズムによるアンチ・モダニズム、それらが60年代から70年代の有機曲線・曲面を生む通奏低音になったことを過小評価すべきではない。
 たしかに60年代前半までの有機曲面は、FRPやABSによる曲面形成、あるいは合板の曲面形成が可能になったことによるデザインであり、ポップ・モダニズムというべき傾向のものがほとんどだ。しかしサイケデリック以降、どんどん形態がうねり、ついにはルイジ・コラーニのようなマニエリスティックなまでの曲面、実現不可能な造形を生み出してしまう造形心理の根底には、先に書いたような当時の若者のモダニズムからアンチ・モダーンへの意識の転換があったことは確かだろう。

●ポップ・モダニズムの曲面造形
 アートの側ではなく、デザインの側でアール・ヌーヴォーの曲線から50年代末のイームズらによるモダーン・ファーニチャー生成の間に生じた ミッシング・リングを埋める存在を忘れることはできない。そう30年代から50年代の「国際様式(インターナショナル・スタイル)」全盛期に、イタリア人カルロ・モリーノは自作のレース・カーでレースに出、スキーの滑降を科学的に研究し、独特のヌード写真を撮り、飛行機を操縦していた!(その点では彼はしっかりとイタリア未来派の衣鉢を継いでいたわけだ)しかも建築作品まで残した彼の40年代末から50年代始めにかけてのテーブル造形は、アール・ヌーヴォーへのオマージュのような、スピード感溢れるモダーン・テイストでもあるような、不思議な存在感を放っている。その造形は女性の身体曲線に想を得たといわれているが、彼はノヴェチェントにもラッシオナリズモにも属さぬ、孤高の様式を保ったといっていいだろう。
 モリーノ以降を辿ると50年代後半から60年代のいわゆるミッド・センチュリー系のモダーン・ファーニチャーにおける有機曲面の流行へと移る。イームズやバートイアの曲面は無論のこと、ヴェルナー・パントンの「パントン・チェア」、エーロ・アルニオの「トマト・チェア」、ピエール・ポーリンの「タング・チェア」、ウェンデル・キャスルの「モラー・チェア」、そしてギュンター・ベルツィーグの人体の骨組みから想を得たような椅子まで、FRPによるさまざまな曲面家具が躍りでることになる。
 チューリップだのトマトだの、自然界から名を取ったものも多かったのは、その造形が似ていたからだし、それこそこうした60年代家具の有機性を象徴する命名ということもできるだろう。一方でエルゴノミクスに基づいた「座り心地」という点で有機曲面になったものも多い。
 エルゴノミクス(人間工学)は第二次大戦中に、戦闘機の操縦性を向上させるために、操縦席の形態を研究することから始まった造形工学だ。それが戦後、一般化され、一方ではオフィス用品に応用され、また一種の「先進のデザイン」として宣伝文句にも多用されてきた。1992年に発表されたハーマンミラー社のアーロン・チェアなど、デザインもさることながら、究極のエルゴノミクスということで売れているのだから、この用語は現在でも十分に有効だといえるだろう。
 ただ、60年代のポップ・モダニズムの有機曲面の家具類は、そんな座り心地云々よりも、それこそ原色のキャンディのような可愛さ、そうでなければクールさが魅力だった。彼らの有機曲面は当時のアール・ヌーヴォー再評価の流れにあっても、直接的な類縁はもたなかった。有機曲線(曲面)が特異な造形に傾きやすいのに対し、モダーン・ファーニチャーの曲面は、それまでのバウハウス的モダニズム、たとえばマルセル・ブロイヤーの「ファースト・チューブ・チェア」などの「理性/合理性」に対するポップな叛乱というべきものであり、「特異な造形」には至っていない。そこがいまだに多く若者をこの時代の家具に惹きつけている大きな理由だろう。
 エルゴノミクスという概念に関してつけ加えるならば、アール・ヌーヴォーが「バイオモルフィズム」という点で「自然」の造形を重視したのに対し、エルゴノミクスは、人間のための工学である。「自然」中心から「人間」中心へと移った造形哲学が、この一世紀の精神の変遷を物語っているともいえるだろう。
 60年代以降も、けして有機曲面が廃れたわけではない。ルイジ・コラーニのマニエリスティックなまでの曲面指向については、本誌の別稿で触れた。ジェームス・デイヴィス&デヴィッド・ウォーリ−、アンナ・ジルなど60年代的有機曲面を得意とする現代のデザイナーも少なくない。しかし、その後の代表作家といえば、イオザ・ギーニとマーク・ニューソンをあげておくべきだろう。
 1959年生まれのイオザ・ギーニはポスト・モダン時代に頭角を現しながらも、未来派的なスピード感を見事なまでに家具として造形化している。1963年生まれのマーク・ニューソンは、プラスティック世代の玩具的造形意識をその有機曲面と連続性の用途をもった作品に込めている。両者の作品そのものが似ているわけではないが、どちらにも共通のものとして感じとれるのが、スケッチを見ても、その作品を見てもアニメ世代の造形を読みとることができる点だ。そう、彼らの作品にはどこかしら(手塚治虫あたりから今日までの)アニメの造形が漂っている。スピード感もあり、可愛くもあり、ポップでもあり、また玩具的でもある。
 オーガニック・デザインといっても、自然の有機性形態を模倣したデザインは、この一世紀あまりのあいだにそうして生まれたオーガニックな形態をもう一度、模倣する「無機的」曲面へと変化し、現在では「無機的」曲面を新たに別の意味性において「引用」し始めているというのが実状だろう。オーガニック・デザインが新しさや未来を提示した時代は過ぎ去り、「引用」の曲面が主流にならざるを得ないだろう。
 そう、でもiMacの成功が教えたように、プロダクト・デザインなんてキャンディのように甘く楽しげであればそれでいいのだ。

© Hitoshi Nagasawa 2000
初出誌『STUDIO VOICE』2000.11.vol.299

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