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スミソニアン博物館にある
恐竜が進化してたら?の模型。
2002年現在出ている
「ツリ目」デザインのクルマのライト。
ノキアの最新型携帯電話。
相変わらずツリ目は健在だ。
バンダイの「たまごっち」。
初代全6種。
326=ミツルのイラスト。
このツリ目がカワイイらしい。
ヒューレット・パッカードのジョルナダ。
究極のツリ目集合体。
 スミソニアン博物館に行くと、もし恐竜が絶滅せずに地上に君臨していたら、このように進化したかも、というちょっと不気味な空想の人体(竜体?)像が展示してある。デザインがどのように進化するかも、ある程度はこのように想像することはできる。ただ、ここ数年の社会現象とまでいえるような「ツリ目」の流行は予測できなかった。いや、そもそもなぜ「ツリ目」なのか、誰もが不思議に思いながら誰も分析できていないのだ。もちろん、僕自身もここでその解を出すことはできない。そもそも「流行」の起源についての原理などほとんどありはしないのだから、明快な答えを出そうとするほうが無理だろう。ただ、いくつかの現象を顧みて、そのときの社会心理的なものなどから流行発生のぼんやりとした輪郭を描くことは可能だ。そして謎に満ちた「ツリ目」現象の(曖昧な)輪郭を描くことも不可能ではない。
 「ツリ目」デザインが目立つようになったのは、携帯電話や家庭用FAX電話のボタン類、そしてクルマのヘッドライトだった。1996年前後がその転換期だった。1991年には全世界で1500万人しかいなかった携帯電話の使用者が約1億5千万人にまで膨れあがり、まさに「大衆化」されたのが1996年だった。

●機能のあとにやってくるデザイン
 あらゆるプロダクト・デザインにいえることだが、その製品が開発された当初は、機能がそのままデザインに転嫁されやすい。まず入れ込みたい機能があって、それを何とか収めるためのデザインとなる。しかしその商品が大衆化され、機能による差異も減少してくるとデザインが前面に出るようになる。クルマなどの古い歴史を持つものは、すでに1930年代からデザインと機能が常に競り合ってきたが、携帯電話のような歴史の浅いもののデザインが前面に出てきたのは、この大衆化によってである。
 丸や角丸の四角いボタンが楕円状のボタンやドロップ状のボタンに変化する。例えば携帯電話のシェアで世界一を誇るノキアの製品での「ツリ目」デザインへの変化は1997年の〈NM201〉あたりに、その端緒を見ることができる。もっとも携帯電話の場合は中央の操作ボタンの周りに配列されたボタンがドロップ状の形態になりやすかった、というのが「ツリ目」を生むきっかけになったともいえるかもしれない。
 しかしクルマのヘッドライトの場合、「ツリ目」はもっと意図的なものだったように思う。いわゆる走り屋系のクルマが「ツリ目」デザインになったのは、それが精悍さをイメージさせたからだ。しかしミニバンのようなクルマまで「ツリ目」になったのは何故か? そして一部のミニバンがヤンキー御用達にまで変化したのは何故か?  おそらくそこには「怖い」と「可愛い」の共存、さらには「怖い」という観念さえも「可愛い」のなかに取り込んでしまう、という社会現象が背景にあったのではないだろうか。その始まりを〈たまごっち〉に見ることができるような気がする。
 1997年に発売され爆発的に流行したこの玩具は、ご存知のようにタマゴ状のゲーム機のなかでペットを飼育するというものだった。飼い主が放置すれば、このバーチャル・ペットは死ぬ。それは残酷なことなはずだが、こうした残酷さも「バーチャル」という囲い込みのなかで消失していった。あるいはペットが死んで「可哀想」と思う自分を「可愛い」とまで転化したのかもしれない。ともあれ90年代以降、巨大に膨れあがった「可愛い」という概念は、恐怖をも飲み込んでしまったような気がする。
 〈たまごっち〉がドロップ状だったのは、まさにゲーム・コンセプトによってだが、それまでゲームウォッチのようにボックス状のものでゲームをしてきた世代からすれば画期的な形態だった。そしてこの可愛い楕円のなかに残酷さが潜んでいたのである。おそらくこの頃から「ツリ目」は怖そうでありながら、可愛い形態として認識されるようになったのではないだろうか。トヨタの〈エスティマ〉が売り出されたときのキャッチフレーズは〈たまごっち〉ならぬ「天才タマゴ」だった。そのタマゴが最新モデルでは極端な「ツリ目」に変身している。

●肥大化する「カワイイ」という概念
 この時期、「ツリ目」はプロダクトではなく美術の分野にも出現している。奈良美智の登場だ。このところの美術界の大旋風「スーパーフラット」の一人と目される奈良が脚光を浴び始めるのが1998年頃。その作品にはツリ目の意地悪そうな目をした少女が多い。それが多くの若者を虜にしたのである。「意地悪そう」「不機嫌そう」が可愛かったらしい。アカデミックな教育を受けながら、ひたすら自らの幼児性に退行するかのような奈良の作品を、このように表層だけ取り上げて済ますわけにはいかないだろうが、それでも「ツリ目」流行の一翼にあったことは否定できない
 90年代末からはキャラクターにも「ツリ目」は目立っていた。〈ツリ目キャラ愛好会〉などというのも存在しているし、イラストレーター〈326(ミツル)〉の描くキャラもツリ目のものが多い。では、なぜこれほどツリ目だったのだろうか? しかも自動車業界では「ツリ目」はもう終わり、といわれながら日本車も外国車も半数以上が「ツリ目」デザインを保持し続けている。ホンダの〈Fit〉は笑った口のようなラジエーターグリルのデザインと「ツリ目」によって、怖いのか笑っているのか、どちらともとれるような表情をもって大ヒット商品となった。バイクの世界でも「ツリ目」の複眼ライトが増加中だ。AU by KDDIの〈A1012K〉やノキアの〈5210〉など携帯電話の最新モデルにはかなりエッジの利いた「ツリ目」も登場している。いやPDAの世界でも事は同様だ。ヒューレット・パッカードの〈ジョルナダ〉の専用キーボードや〈NOKIA5510〉のボタンの圧巻なまでのツリ目の連続! まさにオブセッションとしてのツリ目デザインではないか! 
 これほどまでにボタンデザインが均質化されるなかで、いったい「ツリ目」は終わるのか終わらないのか? デザインである以上、やがて別の意匠によって乗り越えられることは間違いないが、それでもこの形態がしばらくチカラを持ち続けることは間違いない。日本の〈たまごっち〉を引き合いに出したので、では、欧州での流行はどう説明する? という疑問には次のような答えを用意することができる。浅田彰氏が、資本主義の発展、世界化とともに世界は幼児化し、平準化していると分析していることである。そしてアニメなどのオタク文化、ゲーム分野での日本の先進性は、まさに浅田氏のいう「幼児化」の先進性の象徴でもある。
 「ツリ目」デザインの正確な起源はわからない。だが、このデザインが受け入れられる素地が先進国に共通してあったことはわからなくはない。高度資本主義のもとでの文化のある種の幼児退行性によって、怖さや意地悪さなどといったものを象徴していた「ツリ目」という形態からすでに負の部分は剥ぎ取られていたということだ。物質的飽和社会にあって幼児退行してゆく文化は、結局、どのような形態をも「可愛い」というブラックホールに飲み込んでゆくしかないのかもしれない。

© Hitoshi Nagasawa 2002
初出誌『INTERNET MAGAZINE』2002 / 7

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© 長澤均『INTERNET MAGAZINE』2002年7月号

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