critique top

日産の「フィガロ」は、お洒落そうで、
ちょっとダサいところが面白かった。
色はパステルトーン3種。
SUZUKIのSW-1は、たしか250ccで
65万円くらいした。
でもとても不思議なデザインだった。
HONDAのジョルノは今から見れば
さほど「レトロ」っぽくはないが、
当時、このツートーンは斬新だった。
HONDAがレトロ・デザインを
極めてきたのが、このJulio。のち
小型バイクまでレトロ・プロダクトとなった。
パナソニックの「Will」シリーズの
冷蔵庫。未来的な感じもあり、
レトロ感もあるデザイン。
パナソニックの「Will」シリーズの
TV。清潔感に溢れ、軽く、
しかもちょっと懐かしい。
トゥエムコのパタパタ時計。
案外、高いが70年代のものよりも 売れている
のは「清潔」だからか。。
神宮前にあるインテリア雑貨店
〈ディテール〉。50'sもののようで、
でも今モノの製品というのがウケた。
ここ数年のミッド・センチュリーの
牽引ともなったのが、この
パタパタ時計の流行。
 4年ぶりの全面的なデザイン変更となった新型iMacが発売されて、巷では斬新、今ひとつ、とさまざまな意見が飛び交っている。僕自身は、デザインの善し悪しとは別に未来的でありながら、どこかしら懐かしさも入ってしまった形態と質感はどこから来ているのか? という点に最も興味を惹かれた。あの半球の台座と両側に置かれる球形スピーカーのマッチングは手塚治虫の漫画に出てきそうな、僕たちが60年代に夢想した未来のデザインに通ずるところを感じないではいられない。しかもレトロではない。たしかに未来的なのだ。
 では、プロダクト・デザインにおける「レトロ感」「未来感」は、どこから来るのか? 今回はそれを探ってみたいと思う。レトロスペクテティブを略した、なかば日本語としての「レトロ」という言葉が流通しだしたのは1970年代末のことだ。ファッションにおける懐古的傾向が最初で、僕なぞ10代の時から自分で1930年代風の服をデザインして自分で縫って着ていた。むろん世間の奇異な目にさらされたことは言うまでもない。
 こうして始まったレトロ的なるものの再評価は1980年代の「ポストモダン論争」も相俟って、日常のさまざまな部分で一般化されてゆく。昭和30年代のグッズを売る店ができたり、やはり昭和30年代風のTVCFが流れたり、と。しかし、世間の一部で話題になろうとプロダクト製品がそれに即応するわけではない。企画開発から発売まで1〜2年はかかるのが当たり前の世界だ。しかし、こうした開発期間があるにもかかわらず、歴史を顧みると、ある時代にレトロ感をもった製品がまったく同時に出現している奇異をみることができる。

●レトロ・プロダクトのメルクマール 
 最も集中した年は1992年のことだった。クルマでは日産の「フィガロ」が発売された。前年のモーターショーで懐古的でありながら未来的と評されたクルマが、翌年「レトロ感」とパリの街に似合いそうな洒落たクルマとして、おもにDINKSをターゲットに2万台限定で抽選のうえ完売した。「フィガロ」のボディフレームを残したオープンは、今では特異なデザインに見られるが40年代から50年代にかけてヨーロッパ車で、そこそこ見られたデザインだ。同年、オートバイのSUZUKIは「SW−1」を発売する。丸みを帯びたデザインとカヴァード・ボディはレトロ感を感じさせるものだが、でも過去には存在しなかった斬新なデザイン。コアなファンの存在からか、いまだに街中でもけっこう見るのは、けして失敗作ではなかった証しだろう。同じ年、HONDAはスクーター復活のブームのなかで「ジョルノ」を発売した。60年代のスクーターに多かったツートーンのシートを採用し、ボディも50年代のモペットのようなツートーンカラー。このカラーリングによって「ジョルノ」はスクーターにおける「レトロ」モノの記念碑的存在となった。それにしてもこの年に一挙に表出したマス・レベルでのレトロ・プロダクトの数々には驚きを禁じ得ない。たしかイギリスの『I-D』誌でも日本のレトロ(モダン)・プロダクトを特集したはずだ。もっともこれには下地があって三洋電機ではすでに1988年から少量生産ながら「レトロ・モダン・コレクション・シリーズを始めていた。
 プロダクトでの次のレトロの波は1998年のことだった。この年、HONDAは「Julio」を発売。ツートーンカラーのレトロ感溢れるスクーターで女性を意識した柔らかなラインをデザインに入れ込んだものだ。そしてまるでキャンディのようなiMacが登場したのも同じ98年のこと。デザイナー川崎和夫が「粗大ゴミ」と酷評したこのデザインは世界中で受け入れられた。たしかに画期的で未来的であった。しかしどこか懐かしいガジェット感(そこが粗大ゴミなる意見を生んだのか?)もこの製品は持ち合わせていた。翌年には、各社共同コンセプト商品「will」シリーズで松下電気はやはり現代的モダニズムとレトロ的曲線をもった冷蔵庫やテレビデオを発売した。
 この周期の一致には驚かざるをえない。他社の開発を知らずして、同じように消費マインドを把握して「レトロ」という特殊な性向の商品が、同じ年に数社から発売される。しかもそれが「大勢」となるはずもないデザインであることを承知したうえで生み出される商品。もっとも80年代以降、「新しい」ものが「お洒落」と直結しなくなってしまったのだから、こうしたちょっと懐かしいラインを受け入れる、それこそ「お洒落な」購買層は、つつましやかであってもできあがっていたといえるだろう。数年前のプロトタイプの製品化、のような「先進の未来」的デザインは、オタクやリゲインなビジネスマンにウケても、それはお洒落とは言えないのが90年代以降のプロダクトの傾向といっていいだろう。
 このように92年と98年はレトロ・プロダクトのメルクマールとなった。しかもどちらの年の製品も懐古的でありながら未来感をもって登場した。では、このレトロと未来の微妙な合体はどこからきたのだろうか? 新型iMacもiBookもiPodも白が基調の製品だが、これらのどれもがポリカーボネートという強化プラスティックを使っているところが重要だ。透明感もあってきわめて堅牢、もちろんプラスティックの一種だから可塑性にも優れているとあって、優美で女性的な曲線を描くのにこれほどぴったりの素材はなかった。純白のiBookを見ればわかるようにAppleはこの四角い製品の四隅に絶妙な丸みを入れた。ノートブック・パソコンでこれほど優美な曲面はかつてなかっただろう。

●懐かしさも持ちながらライトでキレイなモノ
 しかもこうした柔らかなデザインが「お洒落」にうるさい層に受けるのも、ある必然性があってのことだった。たとえばサーリンネンがデザインしたプラスティックの椅子、あるいは文字盤がパタパタと落ちるリーフ時計など、60年代の本物のモダン・デザイン製品を手に入れることは、そう困難なことではないし、特別高価なわけでもない。しかし、今現在の風潮は「本物」であることよりもレトロ感もありながら「新製品」であること、そこが重要となっているのだ。Mac製品しかりWillシリーズしかり。新しくキレイ、コンパクト、柔らかくて可愛い、でも「最新鋭」って感じじゃなくてどこかしら懐かしさを、というわけだ。Appleが、このところのコンシューマー向け商品に白のポリカーボネートと曲面ラインを選んだのは、まさにこの「お洒落」層に落とすべき商品戦略だったはずだ。そして60年代的なイマもの雑貨(これらもプラスティック曲面の製品が圧倒的だ)を扱うお店が急速に増えているのも、こうした消費者層の増加を裏付けるものだろう。
 1970年代末までは、未来のデザインはハードエッジなものという共通認識みたいなものがあり、つまらぬヤッピー向けプロダクトが横溢した。しかしそうした画一的な「デザインの未来感」は80年代に崩壊した。進化するデザインのなかにあって「失われた過去(の持つ曲線)」をデザイン言語化すること。これこそが20世紀末から21世紀初頭にかけてのデザイン方法論といってもいいだろう。では、果たしてこの傾向はいつまで続くのか? それは「近代」がいつまで続くのかと問うようなものかもしれない。終わったかに思える「近代」の向こうで緻密に構築されてゆくシステム化社会。「過去(=懐古)」さえものみ込んで、このシステムはより強化されていく。デザインもまたそのシステムに絡め取られた「時代様式」でしかないのである。

© Hitoshi Nagasawa 2002
初出誌『INTERNET MAGAZINE』2002 / 6

※無断転載、無断コピーを禁ず。ウェブ上等での私的利用の範囲内での引用等の場合、出所として下の1行を必ず明記して下さい。
© 長澤均『INTERNET MAGAZINE』2002年6月号

copyright ©1997-2014 papier colle.s.a. All Right Reserved