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「画家」ジュリアン・オピーが描いた
セイント・エティエンヌのアルバム。
ヨルゴ・トゥルパスが斬新な
「平面感」を出した『crash』。
『crash』に掲載されたイラスト。
この平面性が「今」だ。
『crash』のレイアウト。タチの幅が
極端に狭く、これを世界中の雑誌が模倣した。
ミース・ファン・デル・ローエの
有名なガラス建築をCG化した絵。
〈デ・スティル〉のファン・ドゥースブルグの
作品をCGにて再現したもの。
 最近、身の回りのデザインや広告、イラストレーションなどに目立って「平面的」なものが多いことにお気づきだろうか? たとえばソニーの「サイバーショットP5」のTVCF。色面に女性の白抜き画像のシルエットが動く、きわめて平面的なデザインは一見、稚拙な表現のように見えるが、これこそ今の「時代性」を物語っているものだ。もう少し目を広げるとポートレートを平面的に描いたシリーズで有名な〈エンライトメント(ヒロ杉山)〉のイラストを見たことのある人も多いだろう。『Relax』や『STUDIO VOICE』など、およそサブ・カルチャーなり、ストリート・カルチャーなりをメインにした雑誌(まあ渋谷系、裏原系、中目系とか)のそこここで、彼の作品は表出しているから、いま最も旬なイラストレーター(兼デザイナーでもある)と言ってもいいだろう。いや『美術手帖』でイギリスのアーティスト、ジュリアン・オピーと対談しているくらいだから、その勢いは単に「イラストレーション」という世界に留まるものではないほどだ。もっとも「画家」オピーの絵は、それ以上に平面的でイラスト的であるから、もはやデザインやイラストとファインアートとの境界線もほとんど埋められようとしているのかもしれない。

●「スーパー・フラット」という流行語
 20世紀の終わりから21世紀の始まりにかけて美術・デザインの世界で最も大きな話題を呼んだのは「スーパー・フラット」という潮流であり、今現在、さまざまな分野でこの潮流は増殖し枝葉を広げつつある。この言葉を生んだのは東京芸大日本画科出身でありながらとアニメキャラのような絵で有名になった村上隆であり、1999年から2000年にかけて開かれたパリやアメリカでの展覧会で、世界にも広く知られるようになった。もっとも村上が「スーパー・フラット」の言葉に込めたのは、単にフラットを「超える」ものとしてだけでなく、もっとメタな意味もあったはずだが、彼の商業的ともいえる成功によって「スーパー・フラット」は、現在のヴィジュアル潮流の流行を象徴するキーワードになってしまった。伊藤若仲など江戸時代の奇想画家からの影響と日本のオタク文化を融合した村上の絵と、「猫も杓子も」的に描かれ始めたフラットなイラスト群を同一に扱うわけにはいかないが、それでもこの「フラット」傾向は日本だけでなく驚くほど世界的共時性をもって進行した現象であった。
 この現象が明確に現れ始めたのは、たかだか1998年頃からのことだ。それまでの先端潮流はグラフィックでいえば、イギリスのデザイン/音楽集団〈TOMATO〉や、前回紹介したクランブルック美術学校系にみられるレイヤー構造の錯綜した図やタイポグラフィーだった。手元にある1995年6月号の『STUDIO VOICE』誌「Digital Graphic Interface」特集は、イギリスを中心とした先鋭的デザイナーたちの作品を紹介しているが、そのデザイン様相が現在のものとまったく違っていることに驚かされるばかりだ。もっともさきほどのジュリアン・オピーなどは、すでに1990年代前半から立体空間を単純な色面によって「平面的」に描いた作品を作り始めており、彼がその後のデザイン/イラストレーションのフラット傾向に与えた影響は小さくない。
 雑誌の世界でフラット感を先鋭的なものとしてデザインに表出させたのは、フランスの『crash』だった。5人所帯のこの小さな雑誌にヨルゴ・トゥルーパスがアート・ディレクターに起用されたとき、彼はまだ若干22歳。そのデザインはミニマルでフラットでデジタルで、しかもコンサーバティヴに陥らない革新さ、という不思議なもので、世界のデザイナー、編集者に『crash』が与えた影響は非常に大きく、日本でもその後、カルチャー系雑誌のレイアウトにこれを真似たものがずいぶんと現れたものだ。雑誌ではアムステルダムの『RE-』のアート・ディレクター、ジョップ・ヴァン・ベネコム。イラストやデザインでは、同じくアムスのデプト、アメリカのジェフ・マクフェトリッジなどが同時期にフラット感の強い作品でデビューして世界的な「フラット」ブームに拍車をかけることになる。なかでも強烈な存在感を出しているのはアムスのデルタだ。ガンダム世代にしてガンダム・マニアでもある彼のイラストは、立体的・構成的なCG作品でありながら90年代の半ばまで主流だったCGテイストとはまったく違った独自の平面感を持っていて、きわめてユニークである。

●コンピューターによるライトな「バーチャル・アーキテクチャー」
 こうしたグラフィックの平面感は、建築の世界にもまた同時代的共時性を見いだせる気がしている。例えば代官山や原宿あたりのカフェの作りをみてガラス壁面のフラットなものが増えているのに気がつかないだろうか? ここ数年の流行は、まさにガラス壁面から内装が透過し、柱の重さを消し去った「ライト・アーキテクチャー」というものだ。この元を辿ると建築界のお手本とする古典がル・コルビュジェのモダニズムからミース・ファン・デル・ローエのガラス建築に移ったことに依るものと思う。現代作家で多くの建築家が憧れるのがレム・コールハースとジャン・ヌーヴェルだが、どちらもこの10年くらいの作品はガラス壁面を主流としたものだ。妹島和世が在籍した伊藤豊雄建築設計事務所の「せんだいメディアテーク」などは、床も柱も極限まで存在感をなくしたライトでフラットなつくりで昨年、最も話題を呼んだ作品となった。
 建築でのライト感、フラット感はガラス素材だけでなく90年代に一斉にコンピュータが導入されたことで始まる「バーチャル・アーキテクチャー」の流行に依るところも大きい。実施設計に至らないコンピュータ・グラフィックス上での建築が、「作品集」として何冊も本になるという状況は、それ以前には考えられなかったことだ。そしてこのCG(CAD)による制作は、建築家に模型を見ながら手直ししていくという作業を省かせ、あらゆる視角・倍率から瞬時に設計の変更を可能にさせた。それはモニタという平面で展開される「フラットな立体」という反語的な構築物を生みだしていった。 同じようなフラット感は、90年代のファッション界を席巻したアントワープ派のさまざまなデザイナーにもいえることのように思う。アントワープ派といってももちろん、その傾向はさまざまだが、大きな流れとしてはミニマルでカジュアルでありながら、意表をつくようなデザインが刻み込まれている……などといった感じが大御所、マルタン・マルジェラから最近のA・F・ヴァンダヴォーストあたりにまでいえることだろうか。しかもその作りは構築的ではなく、絶妙にフラットなのである。
 フラットとは、いわば「表層」がせり出してきているということなのだ。たぶん、これから先数年キータームとなるのは、この「表層」だろう。のっぺらとしてつるりとして透過しそうな表層。CGの立体をも、もう一度平面化してしまうような表層。iMacやiBookで使われたポリカーボネートがライト・アーキテクチャーの建築素材からインダストリアル製品にいたるまで、さまざまなところで使われていることも、こうした素材主義による「表層」が主張するデザイン潮流の現れのように思う。
 次回はこのiMacやiBookのデザインに潜むものが何かを探求してみたい。

© Hitoshi Nagasawa 2002
初出誌『INTERNET MAGAZINE』2002 / 5

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© 長澤均『INTERNET MAGAZINE』2002年5月号

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