critique top

A・F・ヴァンデヴォースト
ドリス・ヴァン・ノッテン
ヴェロニク・ブランキーノ
ヘルムート・ラング 2002春夏
 やはり「ミニマル」だった。
 1998年のモード界の傾向をひとことで表現すれば、そういうことになるだろう。去年も「ミニマル」だったし、たぶん、来年もそこそこに「ミニマル」だろう。
 とはいっても、どこまでを「ミニマル」と規定するかは難しいところだ。ヘルムート・ラングは、むろんミニマル。では、マルタン・マルジェラは? う〜ん、ミニマルと規定すべき人ではないけれど、今年彼のデザインした「エルメス」は、シンプルすぎて僕にはミニマルに見えてしまった。
 テクノの隆盛とともにミニマルという言葉は、きわめて安易に使われるようになってしまい……と言う僕も本稿では、きわめて安易に使わせてもらうが……余計なモノを削ぎ落とした単純さ、反復、が顕著であれば、それは「ミニマル」と呼ばれるようになってしまった。まあ、そんなようなものだが、美術において「ミニマル・アート」なる傾向が現れてきたときは、それほど単調な「概念」ではなかった気がする。とはいえ、それは70年代後半までに終わったことだった。「ミニマル」や「コンセプチュアル」といった潮流は、現代美術を、より小難く観念的にストイックなものにしてしまった。そんな禁欲的なアートの潮流に、もう一度、色彩の快楽や物語的な神話性の豊穣をもたらしたのが、80年代の「ニュー・ペインティング」以降の動きだった。そしてこの大変動の先鞭をきったのが、なんとミニマリストだったフランク・ステラで、彼の「雲形定規」シリーズをN.Y.のMOMAで見たときには、ほんとうに感動したものだった。
 美術の歴史において同じような流れが繰り返されることはない。シュルレアリストの残党のような者もいれば、ミニマリストの残党もいるが、同じ潮流が復活することはない。潮流は、終わるのだ。
 だが、モードの世界は違う。色彩を謳歌する潮流のあとには、その反動としてモノトーンの時代がきて、似たようなことが何度も繰り返される。ジョン・ガリアーノが「クリスチャン・ディオール」のデザイナーになって以降、発表された作品なんて過去の様式からの引用ばかりといってもいい。30年代上海、50年代ハリウッド、そして99年春夏では「人民服」。でも、繰り返されるその「変奏のテクネ」こそ、モード特有のエフェメラの夢を感じさせて美しいのだ。ジョン・ガリアーノとヴィヴィアン・ウェストウッド、この二人こそ僕の最も好きなデザイナーである。
 彼らが、西洋の過去の様式美を時代の先端としてモディファイするデザイナーだとすれば、その対極にあるもう一方の潮流は、シンプルな「リアル・クロース」派、ミニマル派だろう。ミニマリスティックではあるけれども、それを超えた斬新な造形性が顕著な「アントワープ」派はまた別の次元の存在と考えるべきかもしれない。「リアル・クロース」派やミニマル派は現代性があり、売れるデザインである。だが、美術の世界ではミニマルは、とうの昔に終わったのだ。
 まあ、いい。所詮、流行にすぎない。美術史をもちだす必要もない。だけれど、ゴージャスさやセクシーさを欠いたシンプルでストイックなヘルムート・ラングのようなミニマリズムは、どうしても好きになれない。アントワープ派もデザイナーによっては、そんなミニマルな傾向は見られるが、彼らが評価できるのはミニマル以上の新しさも多く見られるからだ。
 そもそも80年代にワルター・ヴァン・ビーレンドンクらの「アントワープ6」が話題になったとき、彼らは時のアシッド・ハウスとも連動したクラブ・テイストを持っていた。91年に『pump』というクラブ・ミュージック雑誌の取材でベルギーに行ったときは、彼らの取材を試みたが、ドリス・ヴァン・ノッテンが「アントワープ6」のなかの売れるモードとして日本でも販売されるようになったのは、その数年後のことだ。それ以降、アン・ドゥムルメステール、ヴェロニク・ブランキーノとそのつれあいラフ・シモンズ、あるいは近年デビューした男女二人組のA・F・ヴァンデヴォーストまで、アントワープ王立アカデミー出身のデザイナーは、世界を席巻し続けてきた。ときにアヴァンギャルドでコンセプチュアルな造形を試みながら、ミニマルな現代性をも失わないという点は、これらアントワープ派の最大公約数的な傾向といえるかもしれない。
 グラフィック・デザインを生業とする僕の立場からすれば、クリエーティヴィティという点で彼らのことは評価してしまうのだが、でも、モードはやはりもっとエロティックでくだらないものであって欲しい。すでにモード界では、「ミニマル」は終わりだ、といわれている。だけれど、そう言った「プラダ」のミウチャ・プラダのデザインさえも僕にはミニマルにみえるのだ。機能主義と新素材ブームもはらんで、それほどまでにミニマルな傾向は根強い。
 A・F・ヴァンデヴォーストは、今年のコレクションで赤十字のシンボル・マークを多用した。ヨーゼフ・ボイスからの影響だという。だが、第二次大戦での経験をそのコンセプチュアルな作品に込めたボイスの、「意匠」のみを表層的に引用するモードとは、なんなのだろう。だからこそ、よけいにモードは快楽的でくだらないものであって欲しいと思ってしまうのである。

© Hitoshi Nagasawa 1999
初出誌『ele-king』1999.2/3. vol.23

copyright ©1997-2014 papier colle.s.a. All Right Reserved