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上から5枚『2001年宇宙の旅』以下『バリー・リンドン』
 猿人の投げた骨が一瞬にしてスペースシャトルに変わる。スペースシャトル内部のロケーションはパンナム(残念ながら倒産してしまった)が提供したものだ。そのスペースシャトルにはクール・モダーンな制服を着たスチュワーデスがいる。衣装のデザインは、60年代モードの旗手ハーディ・エイミス。スチュワーデスは宙に浮く宇宙ペンを手に取る。パーカー万年筆提供。
 宇宙ステーションでは、科学者が地球とピクチャーフォン(TV電話)を使って交信する。ベル電話会社が、その製作を担当した。この科学者が着る宇宙服は、あのナイロンを製品化したことで知られる先端科学企業(今では公害企業というべきだが)のデュポン社によるものだ。宇宙飛行士が眠る冬眠カプセルは、世界一の電気機器メーカー、GE(ゼネラル・エレクトリック)社が製作した。
 真っ赤なソファが置かれた宇宙ステーションのロビーだって、ただのセットではない。ヒルトンホテルの協力なしには語れない。宇宙飛行士がニュースを見る超薄型の受像器、ニュース・パッドはハニウェル社とBBCによる労作である。そしてHAL9000……IBMをそれぞれ一語づつ前にずらしたイニシャル(この件に関してキューブリックは否定してるが)によって生まれたこのコンピュータをデザインしたのは、もちろんのことコンピュータの巨人IBMだった。1968年のことである。
 『2001年宇宙の旅』のリアルは、現実のテクノロジーに裏打ちされていた。このリアルという点でスタンリー・キューブリックは、ふたつの対極に位置する映画を作った。『2001年宇宙の旅』と、75年に製作された『バリー・リンドン』である。その間の71年に『時計仕掛けのオレンジ』を作っているが、僕には『2001年宇宙の旅』のラストシーンのロココ風の室内が直截に『バリー・リンドン』につながっているように思えてならない。そう『バリー・リンドン』は、18世紀ロココ時代を舞台にした物語だ。サッカレーの原作を元にしたこの映画の評判は、あまり芳しくなく、キューブリック好きでも観てないという人は多い。だが『2001年……』とネガ・ポジにあるような映画なのである。
 完全主義者のキューブリックは、18世紀の光を再現するために大がかりな照明を使わずに蝋燭の灯りで撮影できるレンズを使った。これはツァイス社がNASAのために開発したもので、ミッチェル・レンズに取り付けられるように改造された。もちろん映画での使用は初めてのことだった。こうして18世紀の夜の室内が、蝋燭の灯りのみで再現された。戦闘シーンにはアイルランド陸軍の兵士250人が雇われ、衣裳製作のために二つの休業中の工場が使われた。
 難解とされた詩的な『2001年……』とは対照的に、18世紀に生きたある男の栄光と没落がその周囲の人物とともに、いかにも「物語」的にしかも淡々と平明に綴られた。アイルランド、及びイングランドで撮影された風景にはコンスタブルなどの18世紀風景画が、人物像などはゲインズボロの絵画が参考にされ、まさに泰西名画的な映像が作り出された。そして映画史上、最も貴族的な美しさをもつ女優(と思う)マリサ・ベレンソンが、ともかくその美の驚異だけで観るものを嘆息させた。
 音楽はシューベルトの「トリオno.2ホ単調作品100」が使われるが、これはのちにデヴィッド・ボウイ主演の『ハンガー』でもテーマとして使われた美しい曲だ。19世紀の楽曲ではあるが、この映像にこれ以上ぴったりくるものはないと思わせるほどだった。
 ともあれ完璧な未来の再現を目指した『2001年……』の対極に、完璧な18世紀の再現を目指した『バリー・リンドン』はあった。そのことだけでもこの映画は評価されるべきなのである。衣装、化粧、家具、風景、そして光、その完璧さの前では「物語」など、どうでもよいことだ。最後に字幕は、こう結ばれる。「美しい者も醜い者も 今は同じ すべてあの世」
 そしてスタンリー・キューブリックも、あの世の人となった。

© Hitoshi Nagasawa 1999
初出誌『ele-king』1999.6/7. vol.25

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