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コラーニGTスパイダー、
おそらく50年代末の作品。
Speed-Record Plane [1968]。
コラーニは漢字を有機曲線と認識していて、
機体などによく漢字表記を使っている。
1965年に発表されたチェア。
コラーニにしてはすぐに売り出せるようなデザイン。
1976年のオールドタイマー・ロードスターは、
第2次世界大戦がなかったら、
このように 「進化」したのではないか、
というコンセプトで作られた。
超大型旅客機「Megalodon」
1000人は乗れるという構想だった。
「Living Space of Tomorrow」と名付けられた
未来の住居。写真合成が秀逸。
Secretary's seat [1970]。
デザインは面白いが威圧感を感じる。
Circle kichen unit [1968]は円形のシステムユニットで 効率的に料理がつくれるというが、 デザイン優先で非人間的な感じがする。
ル・マン用に作られたプロトタイプの数々。
これが実際には「チョロQ」になってしまった。
でも、そのチョロQも最近ではプレミアものになっている。
ルイジ・コラーニは1970年代当時、最も有名で最も奇矯な造形をするデザイナーだった。その極端な有機的デザイン、あるいは巨大な(に見える)モックアップ・モデルは「未来的」であるとともに、どこかしらイカレたものを感じさせていた。ただ、それは1950年代のドリーム・カーやスペース・エイジもののさまざまなイラストや玩具などに溢れる未来感とは、また別のものだった。
 なぜかといえば、コラーニ以前の「未来」デザインの多くは、流線型(ストリーム・ライン)を未来造形の基底としていたからだ。流線型はハイドロダイナミクス、エアロダイナミクスという純粋に力学的要請による造形というだけでなく、20年代以降のモダニズム美学を基本に、スピード感、アメリカン・アール・デコ、楽天的な未来信仰と結びついた、デザインとしての様式だった。それはモダニズムの発展形であり、工学的未来造形以外のなにものでもない。かつて1910年代に建築家アドルフ・ロースが言ったように「形態は機能に奉仕する」というモダニズム美学をスピード化した様式だったといえるだろう。
 では、コラーニはどうだったのだろうか? たしかに彼はパリ大学でハイドロダイナミクスを学び、流体力学、空気力学をそのデザインの根底に据えた。ただしコラーニには、彼自身言うところの「バイオデザイン」という概念が、それ以上の大きな位置を占めていた。ようするに自然界の形態からインスパイアされた造形。言葉のみ捉えれば、まさにアール・ヌーヴォーに連なるものと言えそうだが、ある面では、それは60年前後に始まるアール・ヌーヴォー再評価に影響を受けた「時代のデザイン」ということでもあった。
 実際、コラーニのデザインは、時代からあまりにも突出してしまっもののように見えるが、年代を追って辿ってみると案外、その時代様式の枠を感じさせる。プロトタイプのみで生産に至ったものが極端に少ないビークル系の作品のなかで、唯一量産に至ったVWのコラーニGTスパイダーにしても製作された50年代当時の空力学的なボディに多少、過剰な有機曲面が加えられているだけのものだ。
 60年代から70年代前半にかけて多く発表されたFRPで作られたうねるような曲面のチェア類も、他の60年代のプラスティック系の有機形態と造形的な共通性は強い。同様にほとんどプラスティックで作られた68年の球形の台所もその60年代的ポップ性だけでなく、当時盛んに言われていたエルゴノミクス(人間工学)を設計思想の基本にしたものだ。その2年後に作られる球を連ねてタワー状にした「Living Space of Tomorrow」など、ほとんど万博のパヴィリオンかなにかのようではないか! 「明日の住居」というよりも「今日のパヴィリオン」といってもよかったろう。
 76年の「オールドタイマー・ロードスター」は、30年代のクルマをドリームカーにしてしまったようで、あるべき「未来」を目指してきたコラーニ作品のなかでは異色のものだが、これは1973年前後に欧米で始まるレトロスペクティブな傾向、すなわち20年代や30年代のモードやスタイルの再評価の流れが、コラーニの意識にも反映されたということだろう。ちなみにこのロードスターは、第二次大戦で自動車開発が中断された時期に、クルマのデザインが進歩していたらこのようなものになったであろう、という「過去の未来」ともいうべきコンセプトによるものだ。
 しかし、こうした時代の様式の範疇にあったものでもコラーニを他のデザイナーから引き離していたのは、彼の「過剰」さだった。そう、70年代以降のコラーニ・デザインは、まさにエアロダイナミクスやハイドロダイナミクスの合理性を兼ねながらも、それ以上に形態の過剰性へとのめり込んでいった。作品タイトルに「Tomorrow」が付くものも多く、「未来」をこけ威かしともいえるほどの造形でプレゼンテーションしていく。たぶん、それがある種「名声」を得るためだったのも間違いはないだろう。もっとも彼が当時、得ていたけっこうな収入の多くを自ら、こうしたモデル開発に投資ししたため、今日われわれは実現されなかった多くの「過剰な有機的デザイン」を見ることもできるわけだ。
 収容人員1000人という鮫のような形のメガロドン旅客機。ベル・ゲッデスの「エア・ライナー」やノースロップ社の「フライング・ウィングス」を、より有機曲線にデフォルメしたような「Flyng Container of Tomorrow」。あるいはマッハ5で飛ぶ前進翼のJAL旅客機……。しかも1973年のオイルショック以降の石油価格の高騰で、コンコルド旅客機の燃費性が批判されたあとでのマッハ5なのだ。それらのどれをとってもコラーニならではの曲面に溢れ、造形的面白さは、他に類をみないと言ってもいいだろう。もちろんこれらは「作品のための作品」という色彩が濃い。一方で家具を、日用雑貨をデザインし、企業とコンサルティング契約を結び、現実面では相当な収入を得ていたし、そうした「小物(?)」では、製品化されたものも少なくない。同じ有機的デザインといっても1920年代のドイツの表現主義建築家の実現されなかった数々のスケッチと較べれば、コラーニのほうがはるかに現実的な生き方をしたわけだ。
 しかし極端に有機的な造形に走ったとき、コラーニ自身にその「過剰」さの意識はあったのだろうか。あるインタヴューで彼は「自然は最高のデザイナー」だと言い、しばしば顕微鏡を眺めて自然のミクロの形態を模倣すると言っていたが、自然界には「未来」感を感じさせるものはない。ハイドロダイナミクスと「自然界の有機曲線」とデザイナー特有の「未来信仰」が結びついたデザイン。それこそコラーニ作品の本質ではなかったろうか。そこが彼の「過剰な曲線(曲面)」を生むことになったわけだが、このことによってコラーニは時代様式から突出することもできたわけだ。
 もっとも今日の目からみれば、そのデザイン過剰による非人間性を感じさせる部分も少なくはない。先に挙げた球形のキッチンは、人間が最小の動きで済む、というが、その狭い球体に押し込められる非人間性は考えなかったのだろうか。あるいは70年に発表された「秘書専用シート」。椅子にすべての機能は備わっているが、そこに入ったらなかなか出れないコックピットのような閉じた構造。
 もっともこうしたプレゼンテーションを非難しても仕様がないことだろう。ひとは常に見たことのないものを見たいのだから、そのときは楽天的な未来感に浸るのみだ。だからコラーニ・デザインが良いか悪いかなどは、どうでもよいのである。ともかく彼の70年代から80年代にかけての作品は面白かったし、今でもわれわれを楽しませて現実空間から逃避させてくれる。そして20世紀を去らんとするわれわれは、そんな「過剰」さにインスピレーションを与えた自然界の多様な曲線にこそ感謝すべきなのだろう。

© Hitoshi Nagasawa 2002
初出誌『STUDIO VOICE』2000.11.vol.299

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