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オードリー・ヘップバーン,ユベール・ド・ジヴァンシー,ジバンシー
オードリー・ヘップバーン,ユベール・ド・ジヴァンシー,ジバンシー
オードリー・ヘップバーン,ユベール・ド・ジヴァンシー,ジバンシー
 1950年代、ハリウッド映画の世界では、女性はグラマラスかエレガントであるか、ともあれ「大人の女」であることがスターの条件であった。そんな時代にひとりの女性が、まったく新しい時代の到来を予感させるスターとして輝きはじめる。ブリュッセルに生まれ、英語とフランス語が堪能なオードリー・ヘップバーン。
 長身ながら華奢な身体に少女のような清楚な風貌。それは来るべき60年代、女性の美の規範となっていくモダーンでシンプルなスタイルを最も先駆的に体現したものだった。
 そんな彼女のスタイルをつくりだしたのが、パリのクチュリエ、ユベール・ド・ジバンシィで、ふたりが出会ったのは53年。オードリー24歳、ジバンシィは会社を設立したばかりの、まだ26歳の青年だった。以後、ジバンシィにとってオードリーは美のミューズとなり、オードリーは、自身の細すぎる身体をきれいにまとめてくれるこの青年を自分のスタイルへの最良の理解者と考えるようになった。
 この年、『ローマの休日』によってオードリーは大スターの仲間入りをし、翌年の『麗しのサブリナ』では、ジバンシィの衣裳も観客を魅了するが、彼の名はクレジットされていない。
 『麗しのサブリナ』で、富豪のお抱え運転手の娘を演じたオードリーの衣裳は「サブリナ・パンツ」と呼ばれるようになるシンプルなスタイルで始まる。この映画の衣裳デザインでオスカーを取るイーディス・ヘッドによるもの。ところが貧しい娘はパリで花嫁修業をして見違えるようなエレガントな女性となって帰ってくる。このときの服は監督ビリー・ワイルダーがオードリー自身にパリで買わせたもので、心酔するジバンシィのスーツだった。
 この映画では、白のカクテル・ドレス、「デコルテ・サブリナ」と呼ばれるようになる黒のカクテル・ドレスが登場するが、ともにジバンシィがオードリーのためにデザインしたものである。しかし『ローマの休日』でもオスカーを取ったイーディスにとって、自分の衣裳デザインの世界に他者が入り込んでくるのは、我慢できるものではなかった。『麗しのサブリナ』の衣裳デザインのクレジットにジバンシィの名がないのは、彼女が頑強にこれを拒否したからといわれる。
 ジバンシィはショーのたびにオードリーのために特別席を用意し、オードリーもジバンシィ一辺倒のスタイルを守り続けた。やがてジバンシィは60年代モダーン・スタイルの旗手となる。『ティファニーで朝食を』(61)でのオードリーのダブルのワンピースなど、その真骨頂と言ってもいいだろう。
 オードリーの清楚な美しさは、希有なものだが、その美の幾割かは、ジバンシィのモードが担っていたといえるかもしれない。『おしゃれ泥棒』(66)では、作業服姿に変装したオードリーをピーター・オトゥールが、次のようにからかう洒落たシーンがある。
「これでジバンシィの服が休める」。
 それほどにこのふたつの固有名詞は堅く結びついていたのである。

© Hitoshi Nagasawa 2004
『bista』 vol.269 2004

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